読書
限りなく無趣味である私の趣味らしい趣味といえば「読書」である。 若いときはポストモダンなのを読んでいたが、最近はもっぱら「古典」である。 よく「読書案内」で若い人に古典を勧めるものがいるが、あれは間違いである。 「古典」は年をとってから読むべきものだ。 自分に残っている時間が数えられるようになってからじゃないと、 長い年月を経た「古典」を味わえないと私は勝手に思い込んでいる。
素粒子論的メンタリティ
最近自分がやっている研究は「高エネルギー物理学」からは遠く隔たっているが、 それでも自分が素粒子論屋だと思っているのは、 「素粒子論的メンタリティ」のせいだろう。 それが何を意味するのかを一言で言うのは難しいが、 「広い意味での素粒子論」という言葉で表わされるように、 単に研究対象が素粒子であるかどうかという問題ではないのだ。 還元主義的で、アナーキーで、理屈っぽく独善的。 反権威主義的で、例えば「先生」と呼ぶのも呼ばれるのも気色悪い。 私は「素粒子論的メンタリティ」のすべてが良いと思っているわけじゃないが、 物理以外の話をしていても、 やはり素粒子論屋の間の方が話が通じやすいのは否めない。 嫌いなところは、 幼児的で大局観の無いところでしょうか。
Linux
大学でも家でも、殆んどの時間は Ubuntu Linux を使っている。 Windows でなくて、Linux を使うのは、 自分では「素粒子論的メンタリティ」と関係があると思っているのだが、 周りの素粒子論屋は Windows だったり Mac だったりといろいろだ。 どうしても使わざるを得ないという状況に追い込まれる Windows は嫌いですね。 「自分がグローバル・スタンダード」みたいなのが我慢できません。 アメリカが嫌いなのも同じ理由です。 VARIETAS DELECTAT っつーわけです。 IEも嫌いですね。このページをいくつかのブラウザで見てみましたが、 IEが一番ひどかったです。もしあなたが IE を使っているのなら、 Opera か Firefox にでも変えましょう。 あと、Linux は最終的には source をいじれるという安心感がある。 実際はよっぽどの不都合がないと本気になって source をいじったりはしない (「出来ない」って言った方が正確だ)が、それが「許されない」Windows では、 結局 black box を認めるということで、これが私は嫌なのです。
LaTeX
これも Windows が嫌いで Linux が好ましいと思っているのと殆んど同じ理由ですが、 ワープロ(特にワード)よりも LaTeX の方が好きです。 テキストファイルだという事がまずもって重要です。 あと、数式に関する表現能力。Emacs + YaTeX というのが、私の基本的環境です。 特に REVTeX4 というマクロは物理以外でも良く使います。
LINGVA LATINA
ラテン語は二千年のオーダーでヨーロッパを中心に使われてきた言語である。 その規範となる「古典ラテン語」には、キケロー、カエサル、ウェルギリウス、 オウィディウス、ホラーティウスなどの作家の作品があり、 その後もヨーロッパの共通言語として、膨大な文献がある。 実は私は若いときからラテン語に憧れていて、 かつて一度は文法も一通り勉強したことがあったのだが、 継続して勉強をしなかったので、すっかり「蒸発」してしまった。 それが最近インターネットのおかげで大変学びやすくなっていることに気付き、 再びそろそろと勉強をはじめたのである。 「そんなの学んでどうするの?」 どうにもなりはしませんよ。単なる趣味ですから。
QCD
QCD というのは「強い相互作用」を記述する基本的な理論である。 QCD が好きなのは、自然(あるいは素粒子物理学、あるいは強い相互作用) に対する我々の理解の深さと、 能力の低さを見せつけているからかも知れない。 ハドロンの世界というのは実に多様で複雑だ。 一方、QCD というのはいじりようがないほど単純で美しい。 これを見いだした我々人間(っつーか、物理学者)はとんでもなくすばらしい。 しかし、基本的なところ (Lagrangian) はわかっちゃいるが、 それ (Dynamics) をどの程度理解しているのか、解けるのか、 という大問題がある。 「芸」の無さがつらいところだ。
EFT
EFT というのは「有効場理論」 (Effective Field Theory) のことである。 現在の理解では、場の理論というのは何らかの意味で有効場理論、 すなわち無限個の演算子を含む適応限界を持った場の理論、 と考えるべきである。 私は EFT が好きである。これは結局、場の理論が好きである、 というのと同じことになってしまうのであるが、 特に「有効場」の理論とするところが好きなのである。 EFT というのは、物理学一般に関する良い感覚を私に保たせてくれている、 という気がするのだ。物理っていうのは、大抵どんなものでも適応範囲があって、 対称性が重要で、 次元解析や、それに基づく大きさの評価があって、 また、本質を抉り出すうまい座標系(自由度の選択)が必要なものだ。 それが EFT ではまさに中心的な考えになっているというのが、心地好いのである。
Shakespeare
シェークスピアを知らない人はいないだろう。だが、 シェークスピアの作品を実際に読んでいる人は意外に少ないのではないか。 私も、主要な作品の中でも読んでないものがあるので偉そうなことは言えない。 まあ、ボチボチ読みます。 シェークスピアを読むのは楽しい。 戯曲だけでなく、ソネットもすばらしい。 シェークスピアは天才だ、が、オカタイ天才ではない。 人生の深みを語るかと思えば、愛欲どろどろの世界を描き、 言葉遊びに打ち興じる。 四百年の年月を経て、東のはての島国の、 英語もよくわからない私を楽しませる力があるのだ。 言葉とは不思議なものだね。
Borges
たぶん、私が一番好きな作家。 ボルヘスの作品はどれも短く「読みやすい」のだが、 常にその背後にある大きなものを感じてしまうのだ。 ボルヘスの作品の美学はいわば哲学的で、 そのことが他の作家の作品と大きく違うところだろう。 ボルヘスの作品のキーワードは「迷宮」であり、 「無限」である。 ただ、ボルヘスは衒学的な世界を楽しんでいるだけではなく、 (彼自身の言葉でもある) 「代数と炎」の両方を兼ね備えている詩人なのである。 私はボルヘスの作品を読むために、 スペイン語を勉強しようと思ったことが何度もある。
Zwerger
リスベート・ツヴェルガーは、私の最高のお気に入りの絵本画家である。 彼女の不思議な絵を見ていると、 この現実の他に別の世界があるのではとあやうく信じ始めてしまう。 美しい構図と鮮やかな色と知的なトリック。特に「鼻のこびと」は一番好き。 ちなみに日本人の絵本画家では、何と言っても赤羽末吉ですね。
李商隠
李商隠は杜牧と並び称される晩唐の代表的詩人。 「獺祭魚」とさえ呼ばれる、 広範な典故の使用による重層的なイメージの喚起によって、 幻想的で妖艶な作品を構築している。 象徴的で官能的な艶詩(恋愛詩)に特徴があり、 特に七言律詩に優れている。 難解で曖昧朦朧とした言葉の奥に、 詩人の哀愁が仄かに揺らいで見える。 私が読んだ最初の詩は漢詩の入門書に採られていた「嫦娥」という七言絶句だ。 これなどは非常にわかりやすい詩だが、 それでも簡単ではあるがさまざまなイメージを喚起する言葉の奥に、 甘美な、そして苦い心情が映し出されている。 代表作「錦瑟」を読んだ時には、こんな唐詩もあるのか、 と強い印象を受けた。
異端
どうも昔から素直ではなかったようで、 ちょっと変ったものが私は好きなのだ。 研究でも anomalous gauge theory に興味を持ったり、 exotic hadrons に興味を持ったりした。 グノーシス派に興味があるし、 一遍上人(「異端」だというつもりはない)に興味がある。 ニーチェが好きだったこともある。 (これはもう黒歴史だな。)